長崎

長崎ドライブ

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長崎ドライビング

 





長崎の海岸線を楽しむコース。

長崎ではソメイヨシノやサトザクラをはじめ、多種の桜が咲き誇る西海橋公園。

古くからあるイノシシから農作物を守るために作られた虚空蔵山展望台、西海楽園などをチェックしたら、あとは西彼杵半島の西海岸を北から南へ向かいましょう。


西海楽園から道の駅 夕陽が丘そとめまで約25km。最初は内陸部の平凡なコースですが、大瀬戸町に入ると右に大海原が開け、解放感は満点。

遠くに目をやると沖ノ島や大角力、小角力と呼ばれる岩礁が浮かび上がり、その光景は抜群に美しいですよ。

また夕日も格別で、さえぎるものがないため周囲全体が赤く染まり、まるで太陽が溶けていくように水平線に沈む様は言葉を失います。

このルートがサンセットオーシャン202と呼ばれるゆえんですね。


ここから入り組んだ海岸線をさらに進むと、長崎市内へ出ます。

長崎市は16世紀後半、ポルトガルの要請をきっかけに海外貿易港として栄えた港町。

港の形から「鶴の港」とも呼ばれています。

江戸時代には鎖国中にあって江戸幕府が西洋・中国向けに唯一公認した国際貿易港として栄え、明治以降は上海への航路の発地として貿易や旅客の行き来が盛んになりました。


現在では観光地長崎の玄関口として、また離島の多い長崎県の交通の要衝として重要な位置を占めており、港中心部の再開発も進んでいるところです。

多くの異国人が訪れたこの街には、海の向こうの文化が薫る洋館や教会が今なお多数健在しています。


市内では、これらを今に伝える文化施設の観光めぐりがおもしろいですよ。

また標高約333mの稲佐山の頂に展望台があり、夜景のスポットとして有名な稲佐山まで車を走らせて、
1000ドルの夜景を楽しんでみてはいかがかな?

夕食は横浜や神戸と並ぶ日本三大チャイナタウン、長崎新地中華街でおいしい中華料理をお勧めします。

また南北250メートルの十字路には、長崎市の姉妹都市である福建省福州市の協力によって石畳が敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねています。


中華街の四方には中華門が立てられ、町はアーチ型のイルミネーションで飾られており、鮮やかですよ。

ちなみに毎年春節時には湊公園でランタンフェスティバルが開催されており、観光にも、美味しいもの探しにも、とても魅力のある街ですよ。














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プロフィール



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 グラバー園
旧グラバー邸

長崎観光の定番スポット"グラバー園"は、鎖国時代の外国人居留区跡です。現在は、国指定重要文化財であるグラバー邸をはじめ貴重な西洋式住宅が移設展示され眼下に長崎港を望み長崎の歴史と文化を体感でき、穏やかな気分になれます。また、グラバー園内には見つけると幸せになれると言う「ハートの石」があります!!グラバー園に行った際にはぜひ見つけて下さい!

 平和公園
平和記念像

1945年8月9日長崎市の上空500メートルで炸裂した一発の原子爆弾は、一瞬のうちに死者約74,000人、負傷者約75,000人と言う被害をもたらし、現在も原子爆弾が放出した放射能により大勢の方が苦しんでおられます。この公園は、昭和24年に施行された長崎国際文化都市建設法に基づき、原爆の実相を訴えるとともに、世界平和と文化交流のための記念施設として開園しました。

 孔子廟
孔子廟
長崎の孔子廟は1893(明治26)年、清朝政府の提唱で華僑の人々が建立。中国国外で唯一中国人によって建立された孔子廟と言われています。長崎の孔子廟は、華南と華北の建築様式がまざりあった美しい色彩の建物です。
 浦上天主堂
浦上天主堂
長崎の観光地の一つである浦上天主堂は、慶応元年(1865年)に完成しました。
しかし、この時代はまだ徳川幕府のキリシタン禁教令がひかれいましたが 慶応3年に長崎の「隠れキリシタン」約400戸がキリシタン信仰を表明し 信徒68人を検束、桜町の牢屋に投獄しました。
明治6年(1873)、ようやくキリシタン禁教令が撤廃され、信仰の自由が認められました。しかし、昭和20年(1945)8月9日、午前11時2分。長崎上空で炸裂した原子爆弾によって、爆心地から500mの至近距離にあった浦上天主堂は破壊されました。現在、天主堂の前に置かれてあるこの像は、その時に被爆したものです。戦後、再建された天主堂は、昭和55年(1980)に改築され、現在に至っています。
 中島川の石橋群と眼鏡橋
ハートの石がある眼鏡橋付近
眼鏡橋と魚市橋の左川岸(寺町側)の石組みのなかにハート型の石(魚市橋側の階段を下りる)が2個埋め込まれている。これは水害対策での中島河川改修工事のとき川岸の石組みの際、組み込まれたものと思われる。 グラバー園内のハートの石と、ここ眼鏡橋のハートの石と、どちらのハートの石が恋を射止め、願いが叶う石になるのかな?二箇所のハートの石を見つける旅も楽しいかも?
 長崎くんち
長崎の総氏神・諏訪神社の大祭。7年に1度出番がある踊町(出演者)が伝統の踊りを奉納、境内や踊り場で披露される。気に入った踊りには「モッテコーイ、モッテコーイ」、そうでないと「モッテユケ、モッテユケ」と声が飛び盛り上がる。諏訪神社の石段を御輿が一気にかけ下る「お下り」も見どころ。毎年10月7日〜9日に開催。元は旧暦9月9日に行ったので「くんち」。国の重要無形民俗文化財指定。
 新地中華街
開国後に中国人居留地となって貿易が盛んだった場所。現在は、中華料理店や商店が軒を並べるチャイナタウン。中華街の東西南北には、朱塗りの中華門が立ち、街中には中国イルミネーションが輝く。路地は長崎市の姉妹都市・福建省の協力による石畳。色彩鮮やかな町並は異国情緒たっぷり。横浜、神戸と並び三代中華街。
 長崎ペンギン水族館
旧長崎水族館時代からペンギンの繁殖の先駆けとして知られていた。キングペンギン、イワトビペンギン、マゼランペンギンなど7種類120羽が飼育されている。深さ4mのペンギンプールで泳ぐ様はまるでジェット機のよう。また、全長約3mの大型淡水魚プラーブックなども見られる。11月末から5月初めの土日祝に実施されるキングペンギンパレードも好評。
 稲佐山
標高332mの山頂には稲佐山公園展望台があり、長崎市街地を一望。遠くは雲仙、天草、五島列島も見える。山頂付近は自然公園として整備されており、春にはツツジの花がきれい。山麓の淵神社からはロープウェイが、駐車場のある中腹駅からはスカイウェイが運行されている。夜景スポットとして知られ、長崎の灯りが光の海のように広がり、長崎湾や周囲の山々と湖コントラストも美しい。
 長崎原爆資料館
核兵器廃絶と世界恒久平和を願う施設。被爆10年後に長崎国際文化会館として開館、被爆50周年記念事業で改築された。常設展示室では、「1945年8月9日」、「原爆による被害の実相」、「核兵器のない世界を目指して」のコーナーで構成され、原爆の惨状を再現する模型など様々な資料が展示されている。記録映画が見られるビデオルームやホールも。
 出島和蘭商館跡
1634(寛永11)年にポルトガル商人を隔離する目的で幕府によって造られた出島のあった場所。後にオランダ商館が移され、およそ200年にわたって国内唯一の海外貿易所だった。現在は、縮尺15分の1のミニ出島が作られている。出島史料館や出島シアターもある。2000(平成12)年に西側の5棟にあたる一番船船頭部屋、一番蔵、二番蔵、料理部屋、ヘトル部屋が完成するなど、出島の本格的復元計画が進行している。
 日本二十六聖人殉教地
1597(慶長元)年に豊臣秀吉のキリシタン禁止令で、6名の外国人修道者と20人の日本人信徒が処刑された場所。後にローマ法王より聖人の名を授けられた26人を刻んだ26聖人の殉教碑が長崎港に向かって立っている。また、キリシタンに関する資料やフレスコ画が展示された日本二十六聖人記念館と記念聖堂が併設されている。これらは、1961(昭和36)年に列聖百年を記念して造られた。
 大浦天主堂
殉教26聖人を祭ってフランス人プチジャン神父により1864年(元治元)年に完成した日本最初の天主堂。正式名称は日本二十六聖人殉教者天主堂。和洋折衷でありながらゴシック風の建物。ステンドグラスはフランス製で100年前のもの。聖堂内の写真撮影は禁止。国宝。
 オランダ坂
外国人居留地となった東山手にある石畳の坂道。活水女子大右横から東山手洋風住宅群を結び、レンガ塀が続き、ゆるくカーブしている。かつては外国人居留地にある坂道はすべてオランダ坂と呼ばれていた。周辺には、木造の洋館が多くの残っており、異国情緒あふれるエリアとなっている。東山手は国の重要伝統的建造物群保存地区。




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